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Christ lived in Japan?Histry and Legend of Shingo.

 

Christ lived in japan?


キリストは日本で生きていた?


ゴルゴダの丘で、磔刑に処されたはずのキリストが、実は秘かに日本に渡り、このみちのくの山村で長寿を全うしたといわれたのは昭和10年、それも茨城県の磯原町(現北茨城市)から突然降ってわいたような話である。 武内宿禰の末えいである武内巨磨氏が。古代史研究家鳥谷幡山氏ほか数名とともにこの村を訪ね、 「キリストがこの村に住んでいた」という古文書が、竹内家の文庫から発見されたというのだった。当時、村長をつとめていた佐々木伝次郎氏の案内で、小高い竹藪の中にあった土盛りを2つ見つけて、向かって右側が「十来塚」と呼ぶキリストの墓で、左側が弟イスキリの「十代墓」と呼ぶ墓だということになった。 その後、1936年5月26日、万国古代文学研究会に属する考古学者の一団によってキリストの遺言書が発見されたり、更には考古学地質学者である山根キク女史の「光は東方より」に紹介されるや、神秘の村として、人々の注目をひきだしたのである。



legend of shingo




legend of shingo

 

キリスト日本へ渡来


キリストは地中海の沿岸ユダヤに 生をうけ、エジプトに父母と共に住 み、その後再び帰ってナザレの片田 舎で成長したが、21歳の時に行方不 明となり33歳の時に忽然と現われ、 天国を語り、神の実在を説いたので あるが、もちろん聖書にもその行方 不明の11年間の行動は何も載ってい ない。ところが発見されたというキ リストの遺言書にはその問の消息が 鮮明に書かれている。 すなわち、キリストが日本へ初め て来たのは11代垂仁天皇の御代で日 本海沿岸の橋立の港に上陸し、越中 の国に至り、当時この地におられた 尊き方の御弟子となり、日本の言葉 や文学を習いさまざまの修行を重ね ていた。 かくて11年の修業を終えたキリス トは33歳になって日本を去り、モナ コに上陸してユダヤに帰ったが、帰 国してからのキリストはパプテスマ のヨハネや周囲の人々に神国日本の 尊さを語り続けた。


キリスト、磔刑を脱す

しかしながら、キリストの教えは 当時のユダヤ教の長老達の容れうる ところとならず、またパリサイの学 老等の反対にあい、遂にローマの兵 に捕えられじ磔刑に処せられることと なった。 しかるに遺言書によれば十字架に のぼったのは弟のイスキリで、兄の身 代りとなって果てたと言われており磔刑のとき「神よ何ぞ吾れを捨て拾うや」 と聖書にあるまじき悲痛な声を発した のは、キリストではなく、弟のイス キリであった。十字架の磔刑を逃れ たキリス卜は、弟子達数人とシペリ ヤヘ走って足跡をくらました。


キリストの再渡来

シペリヤの広野に出たキリストは、 艱難辛苦して各地を遍歴し、4年目 の2月26日アラスカから舟に乗り、 今の青森県八戸港に上陸し、再渡来 したキリストは十来太郎大天空とそ の名を改め、陸奥の国戸来村(ヘラ イ)に住居を定め、ミユ子と称する 日本婦人をめとり三女を育てた。





legend of shingo




cross in shingo



ユダヤに縁りの風俗習慣



キリストの行脚

遺言書によると戸来村に居を定めたキリストは布教に努めることもなかったが、日本の各地をてきれき遍歴行脚して言語・風俗・人情などを視察するかたわら、庶民救済に努力されたという。 その当時のキリストは禿頭白髪、 赤ら顔の鼻高であり、ヒダの多いオ ーバーを着けていたので、人々に天 狗として畏敬されたという。


風俗・風習もユダヤふうに

戸来(ヘライ)はヘブライをもじったものと言われるように、ユダヤ に緑りのありげな風習や習憤が今な お多くかい残っている。 例えば、父親をアヤ又はダダ、母親 をアパ又はガガ、そして子供が生れ、 初めて戸外に出すとき、子の額に墨 で十字を書く入れること、或いは、 足にシピレをきらしたとき、人さし指 にツバをつけ額に十字を書く、これ を三回繰り返すとシビレが直るとい う習慣など、現在80才をこす古老達 が子供のとき、すでにその時の年寄 達から受継いだものだという。


ナニャドヤラ(盆踊り・唄)

村には古くから伝わる盆踊り・唄がある。お盆とそして続いて訪れる 鎮守のお祭りには、この唄がうたわれ踊られる。
ナニャドヤラー
ナニャドナサレノ
ナニャドヤラー
まったく日本語らしからぬ歌詞で あるが、これを米国シヤトルに住む 神学博士川守田英二氏(岩手県一戸 町出身)は日本に帰った折これを伝 え聞き、次のように翻訳している。
お前に聖名をほめ讃えん
お前に毛人を掃蕩して
お前に聖名をほめ讃えん




o-bon dance and song nanyadoyara


legend of shingo


十来塚と十代墓

106歳の長寿を全うして、この村で 没したと言われるキリストは、その ぞうげん遺言により、西方およそ16キロの地 にそびえ立つ標高1159mの戸来岳で 風葬し、4年後に白骨をまいてん埋葬したと いう。
それは、部落を見下す小高い丘の 上にあり、こんもりと盛り上がった 二つの塚には各々真白な十字架が立 てられている。向かって右側がキリ ストの墓といわれ、日本名十来太郎 大天空と呼ばれたところから”十来 塚″左側がキリストが磔刑を脱する 時に携えていた弟イスキリの耳と聖 母マリアの頭髪を葬ったといわれる ”十代墓〃である。

ダビデと十字

キリストの墓のある、沢口家の家 もんは、ダビデ(ユダヤの王)の星形 であり、それも古い戸ぷくろに、う ちつけられている。



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大石神ピラミッド

太陽は人間にとって最も偉大な存在だった。古人は太陽に近づくために、より高い場所に祭壇をつくり、そして祈った。




エジプトピラミッドよりなお古い大石神ピラミッドとは。



武内家の文庫に秘蔵されている神代史によると、わが国にはエジプトのピラミッドよりなお古い数万年前のピラミッドが7基あるとされていた。 昭和10年に 戸来村を訪れた日本画家の鳥谷幡山もこれを見て”これで4個目だ”と喜んだ。 酒井勝軍はさらに「鏡石」(下方四囲が12メートルの巨石)「方位石」(西方1メートル余りの割れ目が、正しく東西を示す)、また頂上の巨石が西側の稜に正しく北極星に向かい、南北を示 しているなど発見している。この鏡石はその場に直立 し表面に文字が彫刻されてあったと伝えられているが、 安政4年7月23日の大地震で倒れ、埋没している。 そこには小さい祠(ほこら)があり、古人が祭壇を設 けて祈るか、修行のために時折登ったものと思われる。 英人エドガー兄弟もまさしく太賜礼拝所と立証している。



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科学の粋にある現代に再び謎を投げかける巨石

酒井勝軍の説ではエジプト、メキシコのものと違って平面基礎から築き上げたものではなく三角形や神備型とした山の頂上にあり太陽石がおかれ、その周囲に「磐境」(バンキョウ)列石が配置されている。昭和10年8月戸来のキリストの墓発見の翌日、戸来の十和利山のピラミッドを発見、大石神のピラミッドは十和利山と関連し、昔から太陽礼拝所の役割をはたしてきたと言われています。




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